見 みて。 また、今回はエルマとエイミーに着目した分析を行うため、この2人が登場するアルバム「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」以外の歌詞データは分析の対象から除外します。
5タイトルのノーチラスはSF小説の「海底二万里」の潜水艦の名前から取っています。 詳しい理論は難しいのでここでの説明は一旦割愛しますが、開発者のTomas Mikolovらの下記の論文を参考としてリンクを張っておきますので、興味のある方は読んでみてください。
そして今回の衝撃的なMVで物語は核心に迫っていくのです。
「第34回」ベスト5ニューアーティスト【邦楽】を受賞した。
neboke manako no kimi wo wasuretatte oboeteiru kara oka no mae ni wa kimi ga ite zuibun hisashii ne tte, warainagara kao wo yosete saa, futari de ikou tte iun da rappurando no naya no shita gamura sutan no furu doori natsukusa ga jama wo suru kono mama no hayasa de kyou wo oyoide kimi ni yatto te ga furetara mou me wo samashite. 人間社会とのかかわりを拒絶し、ただエルマだけを描いた彼の人生は、エルマへの想いとともに海底へと沈んでいった。 自分の中で音楽に対する不満や複雑な感情が湧き上がって いたのです。 「裸足のまま」というのは「明確な理由付けもなく」という点を示 唆しているのでしょう。
8さよならの速さで顔を上げて、 いつかやっと夜が明けたら もう眼を覚まして 見て 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから 解釈 外は雨だから傘をさして外に出てみようと思ったけれど、靴は捨ててしまったんだっけ。
彼がこれまでの日記と歌詞をエルマに分かるように残し ていったのは、彼が彼女を最後まで思い続けていたこと を伝えるためでしょう。
決別した理由は分かりませんが、離れて暮らす中でエイミーはエルマの記憶が薄れていくのを嫌がっていました。
734(OTOIRO) 音楽泥棒の自白 タイアップ [ ] 起用年 曲名 タイアップ 2019年 TV-CMソング 2020年 『ミャンマー編』TV-CMソング 劇場アニメーション『』主題歌 劇場アニメーション『泣きたい私は猫をかぶる』挿入歌 劇場アニメーション『泣きたい私は猫をかぶる』エンドソング 漫画「」PVソング ドラマ「」メインテーマソング TBS系「」エンディングテーマ ソーシャルゲーム「」TVCMソング ライブ [ ] 年 日程 公演名 会場 備考 2017 7月9日 夏草が邪魔をする 東京・新宿BLAZE 2019 10月17日 ヨルシカ LIVE TOUR 2019 「 月光」 東京・TSUTAYA O-EAST 10月21日 大阪・BIG CAT 10月22日 愛知・ボトムライン 12月11日 東京・新木場STUDIO COAST 追加公演 受賞とノミネート [ ] 年 ノミネート対象 賞 結果 2020年 ヨルシカ 第34回 日本ゴールドディスク大賞ベスト5ニューアーティスト【邦楽】 受賞 2020 MTVEMA BEST JAPAN ACT ノミネート 脚注 [ ] [] 2020年5月16日閲覧。 寝 ねぼけまなこの 君 きみを 何度 なんどだって 描 えがいているから 時計 tokei が ga 鳴 na ったからやっと ttakarayatto 眼 me を wo 覚 sa ました mashita 昨日 kinou の no 風邪 kaze がちょっと gachotto 嘘 uso みたいだ mitaida 出 de かけようにも kakeyounimo、 あぁ aa、 予報 yohou が ga 雨模様 amemoyou だ da どうせ douse 出 de ないのは nainoha 夜 yoru が ga 明 a けないから kenaikara 喉 nodo が ga 渇 kawa くとか kutoka、 心 kokoro が ga 痛 ita いとか itoka、 人間 ningen の no 全部 zenbu が ga 邪魔 jama してるんだよ shiterundayo さよならの sayonarano 速 haya さで sade 顔 kao を wo 上 a げて gete いつかやっと itsukayatto 夜 yo が ga 明 a けたら ketara もう mou 目 me を wo 覚 sa まして mashite。
4コンポーザーのn-bunaは2012年から自身の曲をオンライン上に公開しており、私も中学生の頃から彼の音楽を聴き続けてきています。 自分は自殺するが、これからは音楽としてそばにいるから、時間がかかってもいいから立ち直って、エルマはエルマとしての人生を生きてほしい。
もし、何かお気づきの点や感想などありましたらコメントなどに書き込んでいただけると助かります。
寝ぼけまなこの君を 何度だって描いているから. 安全な場所に引きこもっていたいという負の感情は、ずっと漂ったままだ。
気になる歌詞をさっそく考察していきたいと思います。
・ ・ 英語だし論文を読むのはちょっと難しそう……という方は、以下の記事が分かりやすいです。
左が今回取り上げたアルバムにおける頻度分布で、右のグラフがn-bunaが作詞した歌詞全体の頻度分布です。
例えば「心に穴が空いた」でも深海というワードが、「だから僕は音楽を辞め た」では海底をエイミーが歩くシーンがあります。 例えば、ヨルシカの歌詞における、エルマというベクトルと似ているベクトルを検知すれば、エルマがいったい何者なのかの手掛かりになります。 この曲がエルマに届いたことで、エルマが目を覚まし、本当の彼の想いに気が付くことができたなら。
見 mi て te。
今回は、 名詞、動詞、形容詞、代名詞、形状詞-一般のみを分析対象としました。
僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽をやめた だから僕は音楽をやめた 作詞 n-buna 昔は愛や正しさを追い求め、音楽を通してただ自分の中の「エルマ」を描き続けていた彼であったが、その信念を貫くことができなくなった。
設定ではエイミーは死後にエルマに曲を木箱にいれて渡しています。 「さよならの速さ」についてですが、英語ではさよならをso long と言います。
ここは本当に切なすぎる。
「風邪」という言葉1つで、体温や体のだるさ、朝の空気感などを表現するセンスは見事だ。
では、何の終わりかというと、「エルマ」の最終曲「ノーチラス」のMVおいてエイミーは最後に毒である花緑青を飲み海に身を投げてその人生を終えたことが映されているため、 エルマの人生の終盤と捉えて差し支えないでしょう。 今はまだ悲しみの最中で立ち止まっている状況だ。 また、 予報の雨模様というのは、実際の天気と主人公エイミーの心情を文字通り比喩しているのだが、 夜が明けないという文は少し違う。
14内容はサビ1とほとんど同じであるはずなのに、エイミーの憂鬱を謳った内容とは違った意味で聴こえてくるのです。 寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから ヨルシカ ノーチラスより抜粋 最初に書いた通り、これはエルマへの曲です。
寝ぼけまなこの君を何度だって描いているから 傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ 裸足のままなんて度胸もある訳がないや どうでもいいかな 何がしたいんだろう 夕飯はどうしよう 晴れたら外に出よう 人間なんてさ見たくもないけど このままの速さで今日を泳いで 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして。
kimi wo wasureta boku wo sayonara no hayasa de kao wo agete itsuka yatto yo ga aketara mou me wo samashite. いわば、エルマとエイミーの物語のクライマックスだ。
ここの部分が何を意味しているのかというと、 それは、 エイミーな虚弱な心です。
本題の歌詞考察に移っていきましょう。
以上です。
このままの速さで今日を泳いで 君にやっと手が触れたら もう目を覚まして。